オタクのハートはもう限界だ

ねこ二匹と暮らすサッカー大好きおたく社会人の片思い※年下彼氏にクラスチェンジした!

スピリチュアルに縋る

私は恋愛が苦手過ぎて占いに頼ることがある。


仕事面では絶対に行かないし、運やら運命やらといったものに委ねるより「すべきことをするのみ」と自分自身の行動を最優先に考えるタイプの私だが、恋愛に関してはまったく自信が持てず「未来を見る」というより第三者目線の話を聞くということに近い。

 

「言う通りにしたらなんとかなりますか」「具体的に何をしたらうまくいきますか」というものでなく「ヒントをください」というニュアンスだ。

 

何しろオタクには恋バナができるような友達がいないのだ。※おそらく偶然だが、私の周りは結婚願望低めの人間しか集まっていない。偶然、あるいは類友である。

 

とにかく、それほどに恋愛が苦手である。当たる当たらないかはよくわからないが、縋るしかない。依存する芸能人がたまにニュースになるが、気持ちはよくわかる。

 

 


過去付き合った異性の中で「こいつはマジでクソの中のクソだった」と感じる男がいる。今でも許すことができないし生理的嫌悪がある。この男に似ている芸能人がテレビに出るだけで「おえっ」となる。

 

高身長で浮気はしない、金遣いも荒くない、愛情は注いでくれる、優しい……しかしこれ以外のすべてがダメだった。

 

すべてがダメ…けど「付き合っているというわけだから、私が受け入れるべきなのかもしれない」「注意したら直してくれるかも」という葛藤もあった。

 

そんなときに駆け込んだのが、駅の片隅で占い師の方がお粗末な椅子に座られており、占い業界ではおそらく破格ともいえる価格で稼働されているタイプの占いだ。

 

バーナム効果とかいろいろとあるとは思うが、ここで「わりと当たってるな」と感じた経験がいくつかある。

 

まず、このクソ男について。
「この人大丈夫ですか」と率直に聞いたのだが、そこで出たのは「義実家に使い倒される可能性」であった。

 

私は彼の口から聞いたことがあった。
「うちの祖父は、男は台所に立つべきでないと言う人間であった」
「元カノは義実家との交流に後ろ向きで、母親は“あんな女やめろ”と常々漏らすほど嫌った」

 

この2つの発言に、猛烈に嫌な予感がしたのだ。
私の母は嫁姑関係でメンタルを病み、未だ治療中だ。この手の話は私にとっては地雷なのだ。

 

さらに彼はここに、自分の話をこう繋げた。
「そんな祖父のもとで育ちながら、料理も掃除も全部する自分は優良物件だと友人に言われている」
「うちは古い家だから理解してほしい、きみは僕がしたいことを全部させてくれる、本当に嬉しい」


ダメだ、この人自体はすごく良い人かもしれないが家そのものがどうしても受け付けない可能性がある……

 

そう思いつつもほぼ情で付き合っていた自分のツボを突き刺すような占いであったことをよく覚えている。

 

「あなたにおんぶにだっこね」「彼はプライドが高いから、あなたはハイハイと言うことを聞いてあげる一方になる」の二言も衝撃であった。

 

というのもズバリその通りであったからだ。

何かを話しても「ふーん、ま、僕はそれよりすごい経験したけどね、タハー(こちらから聞くまで詳細を話さない)」と毎回返してくるような、中学生のような承認欲求の持ち主であった。


……という具合で、自分の直感に対して「こう思ってるんですけど」とヒントを貰いに行くイメージで占いを使っている。

 

だが今回のジュンタロウは違う。自分の直感がまったくない。

 

奴は何を考えている、どうしたい、どうなる、どうしたらいい……何一つ見当がつかない。

仕事でこんな状態になることはまずないのにと、情けない限りであった。

 

そしてたどり着く場末の占いで出る結果についてだが……実は占いは3人に計5回受けていて、後半3回は同じ結果が出ている。

毎度家路を歩きつつ、ふと気が向いて「占」の字に吸い寄せられ力なく「みてもらっていいですか…」とパイプ椅子に座った私を前に占い師は「あらあら…」と出迎えるわけだが、冗談抜きで毎回同じ結果が出る。

 

結果が結果だけに「あなたなんで占いなんて来たのw」という反応をされる場合もあった。

 


出る結果はいつも「世界」の「正位置」、つまり超絶良いカードである。

 

 

「問題は彼ではなくあなた、素直になりなさい」と話した占い師もいた。
「恋とかそういう次元じゃない、なんというのか……不思議な2人ですね」と話した占い師もいた。

 

そんな中、ジュンタロウとともに偶然立ち寄った神社で初詣をしたところ私は大吉を引いた。

奴は末吉であったが、私自身はなにやら良い風が吹く可能性の岐路に立っているのであろう。

 

 

と、思いたい。

 


結局、現実がすべてである。期待しすぎないよう、謙虚に過ごそうと思う。