ジュンタロウがよく言うセリフである。
私が社会人になったとき、世間は不景気真っ只中であった。
「お前の代わりはいくらでもいる」
「やる気がないなら帰れ」
「やる仕事があるだけマシ」
こんなかんじの言葉が飛び交う労働環境で、しかしこれは真実であったから自尊心をゴリゴリと失いながら日々を過ごしていた。
この失った自尊心はおそらくそう簡単に戻らないと今でも思う。
なにをしてもうだつが上がらなかったし、たまになにか上手くいけば「運が良かっただけ」と周りも私自身も口に出して言っていた。
だから「人の役に立つ」「世界の役に立つ」ということは夢のまた夢であった。
結婚の予定はなく、子を成さず、非正規雇用で、未来もわからない。
私が持つカードに「幸せ」とか「人から羨まれるもの」はまったくなくて、自分の価値など皆無であると信じて疑わなかった。
だからせめて…と思い必死になったのが「人の役に立つこと」であった。
どんなことでも「ありがとう」と言われたら私は嬉しくて必死だったと思う。
それがどれだけ小さな用事でも、なんなら上手く使われただけだったとしても、私に誰かがものを頼むということが本気で嬉しかったし、これを叶えていくことが使命だと思ったのだ。
これは人の役に立つこともそうだが、自分の価値をなんとしてでも維持しようと必死だったことも起因していると思う。
自分は世界にとって無価値で、いてもいなくても変わらないどころか、むしろ生産性のなさを踏まえると「いなくていい」かもしれない。
そんな不安と焦り、絶望感と常に戦っていた気がする。
人から面と向かって「お前は役立たずだ」と言われたことはない。
ただ、それに近い場面に遭遇することは誰にだってあるはずだ。
たまたま私はそれに人一倍ショックを受けるタイプだった。
というこんなかんじの精神構造をしているとどうなるかというと、自己否定と自己犠牲と奉仕精神でたっぷりの大人が出来上がるのである。
とにかく物事は「話してくれてありがとう」「関わってくれてありがとう」から始まり、そして「どんなことでも良くしていくための材料」になる。
そうしていたら口から出る言葉は自然とポジティブになったし、少なくとも人前にいる時間は明るい対応ができるようになったため、私はいわゆる「人気者」になったかもしれない。
「しれない」というのは、まだ取り戻せていない自信のせいだ。
疑い深さは直っていない。
だから私は一人になると急に暗くなるし、落ち込むし、人生に絶望する。
私の毎日は「ネクラ」と「ネアカ」の反復横跳びだ。すごく疲れる。
しかしこれは自分で選んだ生き方だから変える気はない。
というようなことを、ジュンタロウになんとなく伝えてきた。
ネアカに見えるけど違う、偽るように接していてごめん、そんなところから自己開示は始まっていたように思う。
気付けばジュンタロウは「そのアスリートみたいなとこ好きだ」「そういうところが本当に素敵な人だと思う」というようなことを言ってくれるようになっていた。
昨日、サッカーのU23を観ながら通話をしていたが切った後もなんだか「まだ話したい」の態度が残っていた気がする。
愛されてるなあ〜
どんだけ私のこと好きなのかなあ〜
そう考えるとニヤニヤが止まらなかった。
今の私が私でよかったと、人生において初めてそう思うタイミングだ。
これが伝わっていればいいなと思う。
しかし実は、私は前半戦の頃から眠かったから早く寝たかった。
というか正直言うと寝ぼけていた。
これを正直に言えるようになるのが、私が目指すべき次の目標かなとふわっと思った。